森美術館:医学と芸術展
みてきました。
http://www.mori.art.museum/contents/medicine/index.html
身体って一番身近なくせして、
近代においてはどんどん意識と切り離される傾向がありますが
(意識だって脳というただの器官のたまものなのに)
おそらく現代を生きる一人間としての私は
ずっとそのことにある種の不安を覚えていて、
で、大学くらいの頃から異常に身体に対する表現に興味がある。
あと、SEXに関する表現。
隠されると不安じゃん。いろいろと。みたいなレベルで。
案外そう言う感覚はあるところにはあるようで、
芸術はそう言った主題に事欠かない。
「メメント・モリ〜死を思え」は人間の永遠のテーマだし。
で、そういうの見ているうちに単純に身体の美しさとか、
自分に潜む妙なフェティシズムに気づいたりとかするわけだけど、
そんな内的世界をたどっている私にはものすごくテンションのあがる展示でしたよ。
●器具マニア的視点
手術道具の美しさ。薬瓶の美しさ。残酷で機能的なものって美しいと思う。
歯医者に行くと先生がつかうなんていうの、
あの色々置いてあるトレイを先生の目を盗んで凝視しまくる私には
たまらない魅力。
あーあと、ダーウィンの杖、素敵。
●欠損フェチの再確認
義手とか、義眼とかなんかたまらない魅力を感じる。
義手とか舐め回すように見る妖しい人になってた。
あ、義足は今回私の何かにヒットするデザインのものはなかった。
身体の欠損に関するフェティシズムってのは
けっこうメジャーだと思う(会田誠とか)けどそのメカニズムは何だろう。
気になる。
あとよく分からないけど分かるような気がする実際に聞いたことのあるものに
鼻血フェチと巨大女フェチ(ウルトラマンサイズ)ってのがあるけど、
こういうの、単純な足フェチとか尻フェチとかよりメカニズムがよくわからん。
人間なにに美を感じるか分からんもんですね。そして美と醜は紙一重だ。
●漂う必死だな感
小さな象牙の人体模型。初めて実物見た。超欲しい。
まあ、それはいいんだけど、なんか必ず女の人のお腹には赤ちゃんがはいってる。
人体を把握することに対する執着はよくわかるけど、
それをこえてもう、やっぱり最終的欲望として人間を作り出すシステムを
どうしても知りたいんじゃなかろうかと思った。
もう、赤ん坊がお腹にはいってる仕組みとか、必死に作り過ぎだろお前らっていう。
同じようなことが、脳に対しても。
結果、赤ん坊が生まれる仕組みや脳の組織はわかったけれど、
でもやっぱり人間は生殖以外の方法でどうしたって命をつくりだせない。
クローンは出来るけど。無から命は作れない。
情動や感情や意識のメカニズムは分かるのに、同じものをつくれない。
考えてみれば不思議なような、当たり前のような。
●ダヴィンチの鏡文字
スケッチはともかく鏡文字をしげしげ見てたら変な気持ちになる。
変な人だな。ダヴィンチ。実際にあって話してみたい人No1だよ。
理解できるとも思えないけど。
欲望の赴くままに書いたらなんかヤバイひとみたいになった。
いえ、私はマトモですよ。などと自己フォロー。
で、これと別に不平の合唱団という作品をやってて。
http://www.complaintschoir.org/
これが面白かった。つい全部見ちゃったよ。
こういうネガティブ事項の表現、大好き。
なんか暗いことや、重いことや、痛いことや、哀しいことみたいな負のエネルギーを
からっとユーモアに変換するってすごく人間の強さを感じるので。
笑いってけっこう自虐的だったりするものね。
お、なんか最後はいい人みたいなまとめになった。よし。