サイキック願回〜陋巷に在り全13巻

かれこれ2ヶ月くらいかかったのか?

酒見賢一「陋巷に在り」全13巻、おわりましたー!どんどんぱふぱふ〜。

13巻分まとめてレビューとか無理がありすぎたw

陋巷に在り

挿絵が毒々しいwだがそれがいいw


話としては孔子(論語のひと)の愛弟子の願回と言う若者がおって、

そのひとがなんかこう、対立する術師やらなんやらとあれこれという、

一時期キョンシーからはじまってチャイニーズゴーストストーリーとか

ああいう中国独特のサイキックものの映画がはやったけど、それに通じるような

基本的にサイキックファンタジーなお話ではあるのですよ。

神様やら魑魅魍魎やらそれこそキョンシー的な鬼神もこんもりでてくる。


それと、孔子も重要な登場人物なので、論語的な

(って論語読んだことないですけどね!)

いわゆる『礼』に始まり、「仁」「忠」「孝」などの儒教の教えがこんもりでてくる。

奇想天外な世界と、真面目な教えの奇跡のコラボレーション!(そうか?w)



面白いなあと思うのは、2500年くらい昔の話なのに、

そうだよなあって思うことが結構多いってこと。

まあだから、論語は今も愛される書物なんだろうけどさ。

酒見さんが、『礼』ってものが要するにどういうものかっていうのを

13巻かけて説明している(そしてきっと説明しきれていない)ような節もある。

この本で語られる『礼』等の教えは、酒見氏の解釈するところのものなんでしょうけど、

一見(細かな事象としては)分かりやすいくせに、本質を説明するのは非常に難しい。


例えば、男女の間には礼が必要。男女はすなわち陰陽であり

異なる力を持つものには礼を持って接しないと害される。

この考えが昔は男女を一緒の教室にしないとかに繋がったんだろうし、

それはそれで一理ないこともないなとは思う。

ストーカーとかは男女の礼がきちんとなされてないからおこるんだっていう見方も

個人的にはすごいよくわかるw


それと、『見る』ということが願回や孔子等々の

サイキック能力の根底にあるんだけど、これもおもしろいよね。

ついこないだ更新した自分の記事でも

『見る』と『理解する』の話がでてきたように、

『見る』あるいは『視る』『診る』能力って、

要するに『理解する』能力のことなんだろう。

そういえばアバターでも「あなたが見える」ってキーワードだったよね。

『見る』ものは人それぞれ違って、その『見る』能力には差がある。これ重要。


その他にも罪と更正の考え方とか、現代日本の生活習慣においても

色々儒教の影響っていうのが大きいこととか、色々話以外の部分が興味深い。


しかし、儒教っていうのは宗教とはやっぱりちょっと違うような気がするなあ。

なんだろう、生活習慣というか。世界の捉え方というか。

宗教にもちろんそういう側面はあるんだけど、

孔子をキリストやブッダと同じに並べるのは

なんかやはり違うような気がするというか。

中国では孔子さまは聖人とされているらしいけど。


あとまあ、小説としては、キャラクターが魅力的。

一歩間違えばアレルギーをおこしそうな中国(漢字読めねえ!的な意味で)を

舞台にしているのに、酒見さんの書く本はいつもキャラクターが

魅力的でひきこまれてしまう・・。

個人的にはダントツに五六が好き。

ちょっとダメなところも好き。色々ネジくれて一周したところとかも。

ひそかに悪悦も好き。彡一も好き。この二人、気になる。

公治長も捨てがたい。あと、祝融。好き。神様だけど!

子容姐さんは別格。好きとか嫌いとかいうレベルじゃねえw

・・・みごとに脇役ばかりのラインナップ・・。

いつものことながら主流に興味を示さないこの性癖(もはや性癖)、どうにかしろ。


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