4月 20 2010

インファナル・アフェア 無間序曲

インファナル・アフェアの続編。

1作目はトニー・レオンさまとアンディ・ラウさまの2大スター共演で

確か映画館に見に行ったのよね。

超満足して帰って来たの覚えてる。おもしろかった。

マフィアのボスのサムと刑事のウォンの役のお二人がそりゃもう、すばらしくて。

香港ノワールと言えば

「男たちの挽歌」と「インファナル・アフェア」なんでしょうけど、

独特の湿気?があるのよね。アジアの湿気。香港映画、好きです。

フィルムノワール自体はさほど好きなジャンルではないんだけどね。

インファナル・アフェア 2

で、こちらは続編。2003年。結構前だな。

続編と言えど時間はさかのぼっていて、主人公2人の若かりし頃のお話。

トニーさまとアンディさまはでてきません。


だ が し か し !


青年時代を演じる二人が、よすぎる!・・ていうか好みすぎる!美青年!

まあ、基本的に終止二人とも状況的に苦悩してるわけだが、

たまに見せる笑顔とか、良すぎる・・!

ショーン・ユーとエディソン・チャン(そういや写真流出事件とかあったね)

この映画はこの二人をにやにやと愛でる映画です!(身もふたもないレビュー・・)

重々しい感じはサム(このひと剽軽な見た目なのになあ)とウォン刑事(まつげなげえ)

とルク刑事(趙雲先生!)に任せておけば大丈夫だしな!

カリーナ・ラウもさすがの貫禄だし。

話としても、主役以外の、サムやウォンなど出てくる人全ての

苦悩や葛藤や吹っ切りがちゃんと描かれてて

より、「ノワール」に近い感じになっているかもしれないな。

続編は1作目より面白くないのが普通(?)だけど、これはなかなかよかった。


久々に香港映画みましたが、その昔香港/台湾映画に

はまりにはまっていた頃を思い出した。

はまった末、卒論とか書いちゃったもんな・・・。


このシリーズ、3作目とかあるんだね・・。これは、みないと。

ディカプリオのリメイクには全く興味がないんだがな!


4月 14 2010

コレラの時代の愛/
ラス・マンチャス通信

やれAdobe CS5だ、Mac Book Proだ、iPhoneだと私的に仕事に欠かせない

モロモロの新製品発表が重なり過ぎだよ、死んじゃうぜ!(主に経済的な意味で)

ってな毎日を送っておりますが、フリータイムは粛々と読書。

読書、金かからない。サイコー。


コレラの時代の愛

これまた、装丁が(ry

装丁は「我が悲しき娼婦〜」と同じテイストっぽい。


マルケスはもうどうしたって「百年の孤独」の凄さにはおよばないけれど、

これはサーガ(年代記)っぽい側面がちょっとある分、面白かった。

マルケスの面白いものはすごく、「サーガ」って感じがする。。

そこに、凄くさりげなく(さりげなく?)幻想的なものが入ってくる。

全編通じて常に、南米の雨と土の匂いを感じるんだよね。


しかし、南米の文学を読むたびに思うが、歴史を知らなすぎるな。南米とか。

そもそも、ほぼ、習った記憶もない。

学校で習うの、古代文明と、植民地統治と、キューバ革命くらいじゃないの?

映画をみるといろいろ「へー」っておもうけど。

ゲバラすら映画がなきゃよく知らないよ。

知らないことが例えばヨーロッパや中国に比べて多すぎる。

有名らしい英雄とかの名前、ほぼ知らぬ。


内容はある女性を愛し続け、50年間待ち続けた男と、その女の話。

話は、要するにそれだけの話。

まあ、「百年の孤独」もある街とともに栄え、滅んだある一族の話だし、

サーガはあらすじを説明したところで何も伝わらないのよねw

人物も舞台も出来事も、凄くリアルな話のような、

凄く霧の向こうの遠い話のような不思議な印象を与えるところも特徴的。


しかし、関係を持った女性をいちいち克明に記録するって言うのは

よく聞く話だけど、男の人ってそういうなんかコレクター的欲求があるのかね。

「お前もか!」って反射的に思ったんだけど、

そんなに何度もそういう話を聞いてるのか、私は。


映画になってますね。映画でこの空気が何処まで伝わるのか、興味はある。


次。酒見賢一、恩田陸、畠中恵(敬称略)等々も受賞してて、

一口にファンタジーって言っても、間口広いなオイ!と思うものの、

まあ、そこそこアタリが多いのでそこそこ気にしているファンタジーノベル大賞。

今みたら今年度の審査員に井上ひさし氏が・・。合掌。

こちら、何回か知らないけど受賞作らしい。

ラス・マンチャス通信

予備知識なしで読んだけど、けっこうね、ダークファンタジー。

それも耽美的な方向じゃなく、気持ち悪い方向にダーク。・・うん、嫌いじゃない。w

全編でひとつの話ではあるんだけど、割合章ごとに話(エピソード)が終結する。

終結するというか、いろいろなものが回収されないままその章は終わったりするので

なんか尻切れとんぼっぽい感じがするんだけど、わざとだろうか。

わざとなんだろうな・・・。


こういう世界観、どっかで感じたことがある。・・ゲームか?

わからないけど、日常(それも小汚い方向のリアルな日常)に

異物がちょいちょい混じった世界。そういう小説でした。





4月 5 2010

ロリータ

画像を探そうと思ってぐぐる先生で「ロリータ」で検索すると

やっぱりなんだかすごいことになっていてニヤニヤ。


ロリはもう性的にもファッション的にもひとつのカテゴリとして確立しているけど、

元はと言えばこの小説なのよね。

気にはなっていたものの何故かこのタイミングで読むことになりました。

評価の高い若島さんの新訳。訳は大事だよ・・ほんと。

ロリータ

始めのロリータに対する欲望に悶々としている部分、

母親が死んでロリータとアメリカ中を放浪する部分、

ある街に定住する部分から再びの旅と別れ〜再会の部分で

印象が微妙に異なる面白い本でした。

いや、なんつうかね、もう、必死すぎて意外に笑えるし・・。


最初の悶々部分とかもうね、おっさん必死すぎる。

性欲が漲りすぎててもう、哀れ。

まあ、ずっと必死と言えば必死なんだけどさ・・。

旅をしている部分はなんだか映画的。

アメリカのロードムービーの侘しい感じとか浮かぶような。

で最後はミステリーっぽくなって終わる。


私は一応生物学上は女なので、あえて言うけど、

女の子は大人が思うより性的なものに敏感だよね。

その時は分からなくてものちのち、あああれはそういうことかと

自分に向けられる性的な欲望って記憶するものだと思う。

そうやって自分が性的な対象であることを自覚する部分がある。


この小説の女の子は12〜13歳。微妙な時期。

でも自分が性的な対象なのはもう十分自覚している頃。

大人でも子供でもない生き物の持つ特殊な美って言うのは、個人的には理解できる。

行為としてのロリというか幼児性愛は嫌悪するけれど、性癖として歴然とあり、

またそれ故に苦しむ人がいるのも、分かる。

この主人公も、苦しんではいる。ていうかもう、性癖に苦しむだけの人生。

性癖はホントこまりものだよね。理性でコントロールできないからね。


私は私的にはおかしな性癖というものにも人間の不思議があらわれていると思って

おもしろがるようなところがあるし、道徳的にも厳格な人間じゃないから

哀れなり。とか思いながらおもしろがっちゃうけれど、

この本がなんで評価されているのかさっぱり分からない人は多いんじゃないかな。


しかし、調べてみたら、キューブリックとエイドリアン・ラインが映画化しとる・・。

そうだよねえ、映画的な本だから。

映画化してるのがキューブリックとエイドリアン・ライン・・。面白いな。