7月 22 2011

表現の骨太さ「予告された殺人の記録」

昨日テレビに西村賢太氏が出ていたぜ。吾郎ちゃんといっしょに。

鶯谷の3畳間に吾郎ちゃんと西村氏。すごい組み合わせw

そういえば西村氏の私小説も読んだなあ。

もうね、世の中と女への呪詛が綿々と綴られてるんだけど、おもしろかったわ。

もうほんとろくでもないんだけど、ああいう男、嫌いじゃない。

嫌いじゃないっていうか、ああいう鬱屈はよくわかるなあというか。

私も根はあんまかわらないからね!そのあたりが私のダメなところなんだな!


とかいいつつ今日もまたガルシア・マルケスさんのレビューだよ!

予告された殺人の記録

この方の小説は癖があるのかもしらんが、

後年になればなるほどやはり読みやすい気がする。

慣れかも知らんがな。登場人物が多いのにも慣れてきたし!


しかしこれは、なかなかの傑作でした。

「百年の孤独」の次に面白い気がする。

なんつーか、運命?のやるせなさと理不尽さと謎を感じるお話。

今回はマルケスさんにしてはめずらしく(?)話自体もおもしろい。

いや、べつにマルケスさんの書く話が面白くないとはいわないけどw

この方の本、あらすじを話してもぜんぜんおもしろさが伝わらないからね。


そう考えるとこの方の魅力はやっぱり表現力だなあと思うのですね。言葉の選び方。

湿気や渇きを、その物語の空気が匂いたつような表現。

酩酊感があるから癖になるのかね。

それはともかくこれは、実話ベースのお話。

こういう事件があるのも南米っぽいぜ・・。

現代日本が忌み嫌い退けた男性上位にして土着的ワールド。

それはそれでしんどい世界やなとは思うけれど、

かといってでは、現代日本がしんどくないかといえば疑問。

結局女はどこの世界でもしたたかに生きていくのですね。毎月血を垂れ流してね。

予告された殺人の記録 (新潮文庫)


7月 12 2011

愛ってなによ。「悼む人」

あ つ い 。

思わずとろけた体勢のまま日々を過ごしている今、私の友はスカパーのチャンネルたち。

今一番かわいいのはメンタリストのリグスビー。あんな部下欲しい。

いきなり分かる人にしか分からない話題ですが、とはいえ、今年の夏は見たい映画もそこそこ。

Super8でしょー、マイティソーでしょー、ハリポタでしょー。

ハリポタとか終わりますね。寂しい。本が終わったときも寂しかったけど、

映画も終わっちゃって、キャストの子たちも大人になっちゃって、寂しい。

ワールド・エンドですよ。ハリポタ・ワールド・エンド。

世界的に興行をあげられるシリーズの後釜はなにになるんでしょうかね。


とかつらつらと書き連ねればキリはないですが、今日のレビューはこれ。

悼む人

天童荒太さんといえば「永遠の仔」ですが、この方の小説は

なんと言うかちょっと宗教性を感じさせるところがあるような気がする。

特定の何らかの教えとかではないけれど、まあ、家族とか死とかそういうのを扱うからね。

しかしそういう題材を扱ったところで全く宗教性を感じさせない方もいるわけで、

そういう意味では好みが分かれるんではないかと思う。

わたしも、実はそんなに好みでは、ない。

いや、「永遠の仔」とか傑作と思いますけど。


で、わたしがどうして宗教的な愛の話をうさんくさく(うさんくさく?)思うかということが

この小説が割と肉薄していたので、これはちょっとおもしろかった。

その矛盾に、そうだよね、苦しむよね、普通ね。って思って。

天童さんもそういうの考えて書いたんだろうなあと思って、

それを考えることでこういう小説になったことはともかく、面白いなあと思ったのですよ。


んーと、要するに、「特定の誰かを深く愛すること」っていうのはのみならず、

「その他大勢の人間と、特定の愛する人を区別する」っていうことじゃんか。

家族愛だってそうだよね。家族、と他人、は区別する。

でね、人間愛っていうのは、「すべての人を平等に愛する」ってことでしょ。

ところがそれって、裏返せば「誰も特別ではない」=「誰も愛さない」ってことでもある。

すべての人に愛を与えるというのが、可能かどうかはともかく、

そうでありたいと願うことは、特定のつながりを否定することにもつながる。

宗教は「隣人を愛せ」とか「執着(愛もその一種として)を捨てろ」とかいろいろいいますが、

この辺の矛盾は、人間は捨てきれないんじゃないのかなあ。

がっつりと納得のいくこたえを返してくれた教典はいまのところありません。

(余談ですが太宰治の「 駈込み訴え」はこの辺りをついた秀逸な読み物ですな。

青空文庫にあります。青空文庫最高!)


でね、「愛」ってなによ。ということになるのですよ。

「愛」は「善」か「悪」かも曖昧になるわけですよ。


この小説読んでるあいだ、その辺りのことを割と終止考えてました。

とはいえ、お話としてすらっと読めてしまうところはさすがでありますが。

まあ、面白さは「永遠の仔」のほうが遥かに上。

悼む人


6月 21 2011

中島哲也day

うふふー。「乙嫁語り」の3巻買ったよ。パリヤたんは俺の嫁。

パリヤたん

しかし3巻は予想通りスミスさんのお話だった。

3巻は市場でのお食事シーンが一番のみどころです(え)。

なんかふらふらしてたら素敵なブログ記事発見してもうた。じゅる。

私はアミル&カルルク夫妻と、パリヤたんが好きだから

ちとさみしい…と思ってたけど、ちゃんと出てきたりしてて、

んで、んで、俺のパ、パ、パリヤたんに婿の、婿の候補が!!!

あふー。4巻もこれは買わないわけにはいかない!

…と、一人で興奮してる。伝わるだろうか、この萌心。いやきっと伝わるまい。(反語)


えー…長いですがここまでは、前置きですよ。


中島哲也監督特集ね、WO●OW(何故伏せ字)でやってたのですよ。

んなわけで、下妻物語」と「嫌われ松子の一生」と「「告白」をまとめ見。

「松子」だけは見たことあって、ん〜宮藤官九郎はほんとダメな作家似合うね。

ていうかあれだね、「魍魎の箱」でもダメな作家役だったよね。とか今回も思ったわけだけど、

さすがに中島さんは絵が基本プロモ絵なので3作まとめてみるとさすがに食傷する。飽きる。

まとめ見には向かないと思いつつ、それで結局3作の中だとやっぱりこれ、傑作。

下妻物語

たぶんあちこちでいわれてるだろうけど、これはもう、キャスティングの勝利。

中島監督は「ものすごく優秀なアレンジャー」って、WO●OWの「シネマNAVI」で

イケメン君(斉藤工くんというらしい←調べたw)が言っていましたが、

これは中島監督に対する、すごく正しい表現だと思う。深く納得。

「アレンジャー」として確固としたスタイルがあって、優秀。(なんか上から目線でスミマセン)

それを支える大きな要素は、独特の映像&編集なんだろうけど、

忘れてならない要素の一つにキャスティングの妙があって、

それは「松子」でも「告白」でも受け継がれてるけど、

ほんとに「下妻物語」の深田恭子ちゃんと土屋アンナちゃんはぴったりすぎて、笑えるレベル。

小池栄子ちゃんや矢沢心ちゃんや、あと阿部サダヲも雨上がりの宮迫も、ぴったり。


しかし、日本人のDNAにはヤンキー的なセンスって色濃く流れてるよねえ。

あれはもう、形こそ時代で変われど、ソウルとしては不滅だと思う。

だってね、ヤンキーテイストのものってヒットするじゃない。

浜崎あゆみ嬢もEXILEもヤンキーテイストを感じるし、水商売や鳶や土方のセンスもそう。

(ちなみに私もそういうセンス、嫌いじゃないですよ。

なんかもう田舎者としてはDNAレベルで共感しちゃう何かがある気がして。)

ヤンキーテイストとオタクテイストは日本の2大メジャーテイストだよなー。


話がそれた。ま、とにかく「下妻物語」だけ、原作未読って言うのも大きいとは思うのだけど、

(他2作はどちらも完成度の高い原作自体を既読だから、よけい「アレンジ」臭に敏感なのかも。

いや、どちらもアリではあるんですよ。表現として。)

なんだろうね、無理がないかんじで、するっと衝撃でした。面白かった。


「ちょー真面目なバロックのあとに花開いた、チョー軽薄な芸術スタイル、ロココ」

↑ある意味ものすごい言い得てて、思わずワロタ深キョンの台詞。

甘ったるく、お淫らで、安易。そこまで踏んでのロリータならあっぱれだよね。うん。

あー書いてて気づいたよ。ヤンキーソウルもある意味甘ったるくて、お淫らで、安易だよね。

刺繍つながりもあるしwそう考えるとロリータとヤンキーの組み合わせは無理がないよね。

そして、なんのスタイルであれ、突き詰めて一人で立つっていうのは大変ていうことだ。

下妻物語 スタンダード・エディション [DVD]