11月 22 2010

完成されたバカ殿の形「のぼうの城」

寒い。こないだまで暑い暑い言ってたのに、寒い。

七分袖の出番がない。そして体調を崩す人続出。

書いてて思い出した。こないだ生まれて初めてぎっくり腰になりましたよ。

びっくりした。腰大事ね。


で、くの字で横たわったまま動けないもんだからこれを読んでた。

のぼうの城

本人は立てもしないというのに、合戦ものですよw

なんか日本史としての中央の歴史っていうの?そういうのは一応知っているのだけれど、

この物語の舞台となる埼玉方面とか、例えば私の田舎の諏訪の歴史とかといった

地方の歴史って縁のある人じゃないと知らないよね。

地方では知られている歴史上の人物とかけっこういるんだろうな。


この小説は時代小説なんだろうけど、出てくるキャラクターがなかなか個性的でよい。

三国志みたいにきっちりキャラがある。武丈夫とか、若武者とか、いいわー。姫もいいキャラw

で、主人公が「でくの坊」の略で「のぼう」様とか領民に呼ばれちゃってる領主様。

底が深いのか、別に何も考えてないだけなのか、賢いのかバカなのか、最後までわからない。

完成されたバカ殿のカタチをひとつ見た気がしますw

「この人は私がなんとかしてやらないといかん!」と人に思わせるタイプの人がいて

私も案外そういう人に懐かれると弱いところがあるので、こういう人の動かし方、わかる気がする。


たとえば、同じ城攻めでも「墨攻」(酒見賢一さんの)とはリーダーのタイプがもう全然違うw

面白かったです。

あ、映画化されるんだ。へー。。


10月 26 2010

普遍的な人間のカタチ「悪人」

やべえ、ちょっとお仕事落ち着きましたー(はーと)なんて

言ってたのにもう一月たってる!

何の記事もあげないまま10月が終わってまう!

まあ、落ち着いたと思ったのは一瞬の幻だったんですけど…。

いえ、ありがたい事ですけれど。


そんな合間を縫って今月読んだのはこれ。

悪人文庫

こーんなに地味な装幀(左)が妻夫木くんのせいでこんなこと(右)になってたんで

思わず購入しちゃったんだぜ。


映画化されたのねーと思って、原作を読む場合って映画を見てなくとも

どうしてもキャストが絵になってしまうのだけれど、まあ、これもしかり。

妻夫木君かあ、と思って読みはじめた最初のうちはなんか違うかね?とも思ったけど

(私の中で妻夫木君はやっぱり清潔でまっすぐな都会的な男の子のイメージだからだろうか)

顔はいいけどマジメで話が面白くなくて女性の扱いはうまくないけど床はうまい肉体労働者とか、

だんだん、これ、妻夫木君でもいいかも!と興奮して来たという…。

最初は正直あれだ、山田君のイメージだった。山田 孝之君。なんでだ。白夜行のせいか。


というわけで、まっさらな状態で読んだ訳ではないので感想にしづらいけれど、

これ、読み終わったあとに、「ん、こういうの、どっかで読んだ。」って思ったのよね。

思ったきり、それが何だったかさっぱり思い出せないんだけれど、

ストーリーがというより、全体の雰囲気がすごくどこかで読んだ何かに似ている。

罪を犯した男と、女の逃避行と言う要素の強くなる後半は特に。

なんだろう。すごい気になるけど思い出せないままなのですよ。


誰が本当の悪人か。みたいな帯がかかっているけれど、まあそのとおり、皆が悪人。

特に私の大嫌いなタイプの悪人が増尾だけど、まあ、殺人者の妻夫木君(主人公)も、

被害者の軽さも、ばあちゃんの無知も、一緒に逃げる女の直情も、

被害者のお父さんの鬱屈も、それが「悪」かどうかはともかく「ネガティブ」ではある。

でも同時に、みんな「善」でもある。「善」ももってる。

言ってみれば当たり前の、普遍的な人間のカタチ。

そういう物語でした。


寂しさと愛のお話と言う見方はあるかもしれないけど、私はあまりそちら方面は心うたれず。

だって、寂しさに道を誤るのも、愛におぼれて道を誤るのも、

あまりに当たり前と言えば当たり前なテーマだからね。

あ、でも、この主人公を妻夫木君がやるのならちょっと映画見たいとは思った。

うまくできてたらすごく、興奮できる(その表現はどうかw)気がするのだけど!


7月 29 2010

脳は美をいかに感じるか

うわー、気づかないうちに7月が終わりそうとか、何!?

何事!?何がおこってるの!?タイムワープ(違)?


…ええ、忙しさにかまけて更新もしておりません。ごめんなさい。

最近は仕事→就寝→仕事→就寝のループだったので、

あまり何も読んでもいなけりゃ見てもいませんよ!

というわけで、今日は脳科学+美術の奇跡のコラボレーション(?)

痺れるマイバイブルをご紹介。

脳は美をいかに感じるか

この前書いたポール・エクマン博士といい、このセミール・ゼキ博士といい、

実際の何事かの事象を自分の持っている科学的知識のアプローチで

読み取ろうとするおかしな(?)人たちっておもしろいですよねえ。

科学はとかく机上の空論になりがちだけれど、(特に私のような一般ピーポーには)

少しでも現実の事象に照らして考えてみるというアプローチは面白いなあといつも思う。

科学はそうあらねばならないよなあと、いつも思う。


とはいえですよ、この本を読むと、美のもたらす感動体験そのものの原理が

解明できてるかというととてもそこまでは、やっぱりとても無理。

感動という情緒活動自体がまだ良く分かってないんだからそりゃそうだけど。


——- 本書では主に「美術作品の知覚」について扱うが、

筆者はかねてから美術のもっとも慈しまれ、喜ばれている側面、

すなわち美的魅力、感動を呼び起こす力、心をかき乱し、刺激する力について

何か一言でも言うことができたらと思い続けてきた。

現在はまだとてもそのような状況にはないが、いずれそうなるものと強く期待している。——-

(P196)



と書かれているように、美術、すなわち視覚刺激がもたらす感情を解明する

ホントの最初の一歩しか脳科学自体はいけてないわけだけれど、これがねえ、面白かった。

具体的には一番最初の視覚情報を受け取る大脳視覚野の話がほとんどだけれど、

この辺の原理が分かるだけで、「あ、だから、この色の組合せは綺麗と思うわけね」とか

「あの意味不明のピカソとかカンディンスキーの絵はどこがすごいのか」とか

わかる。これはすごい事じゃないかと思う。

要するに、その原理がこうなっているという事ではなくて、

それを美術の世界に持ち込んでみたゼキ博士のアプローチが、目新しい。


「感動」にまつわるものってなにか、科学的なアプローチを拒むような

なんだろ、「考えるな!感じろ!」的な神秘的なタブー性みたいなものがあると思うんだけど、

(多分これって論理的に完全解明されると洗脳的な意味でも色々危険だからだと思うので、

そのへんの自己防衛本能が働いている気がしないこともない。)

脳科学は人間そのものを解明するために日々進歩している訳で、

人間活動の中でも特殊なもの=「感動」を目的とする活動を解明するには

絶好のアプローチかもしれないなとは思っております。是非はともかく。


わたしは大学で美術論をやってたけど、そのころから変だな変だな思っている。

なんで、美術なんてあるんだろう。音楽や、文学も、なんであるんだろう。

なんで、優れた美を、人間はそういうものの中に見るんだろう。

生きていくための直接的な活動でもなく、種の持続のための活動でもない

こういう特殊活動が、不思議でしかたない。

すごく魅力的で決してなくならないのに、でも生物学的には不必要。

その存在の理由そのものを知りたいという私みたいな人には

なんかインスピレーションを与えてくれる本かもしれません。